「人それぞれ」がさみしい
「人それぞれ」という言葉には、個々人の違いを尊重する一方で、考え方の異なる者同士が互いに本音で語り合わず、内面に深く踏み込むのを避けようとする側面がある。
「みんなちがって、みんないい」
この言葉を耳にしたことがある人は、けっこう多いのではないでしょうか。
(はじめに p.3)
「人それぞれ」では片付けられない問題、引き起こされる分断と対立を見ていくとともに、「人それぞれ」のその先を模索する。
日本人は世界で最も孤独感を持ち、寂しいという。
日本は変わった国という事だろう。
引きこもりが大きな問題になっているものな。
ネトゲ廃人という言葉も目にする。
本書を読んで勉強になった。
ある友人との会話。
「佐賀県の吉野ヶ里遺跡で弥生時代後期の石棺墓が発見されたんだって。」
「そうらしいな。卑弥呼の墓かな。」
「それは知らないけど、教科書が書き換わるかもしれないぜ。」
「卑弥呼の邪馬台国には九州説と畿内説があるんだけども、どっちでもいいよな」
「うーん、ま、人それぞれで良くね?俺は山陽説を考えるよ。」
友人とのコミュニケーションが浅く変容してきている。
あるサークルの会話。
「ゼミの希望もう出した?」
「ええ、佐々木ゼミにしたわ。」
「佐々木先生のゼミね。私は古谷ゼミにするつもりよ。」
「古谷ゼミっていうとテレビのコメンテーターもしている切っての論客である古谷先生のゼミかしら。大変そうじゃない。」
「でもゼミの卒業生の先輩たちと交流できる機会があってすごいのよ。人脈が広がるわ。あなたも一緒にどう?」
「私はサスティナブルに関心があるから、ゴミについて考える佐々木ゼミにするのよ。みんなで街のゴミ拾いをして地域の小学校を訪問するんだ。」
「へぇ〜、人それぞれだものね。」
人それぞれの社会は決して平等にはならない厳しく冷たい社会でもあるのだ。
もっと温かい社会を作りたいな。
withコロナのサイクリングである。