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日常の色々

超哲学者マンソンジュ氏

マルカム・ブラドベリ(著),柴田 元幸(訳)
平凡社 / 平凡社ライブラリー
2002年5月 (発売日)
文庫 (発行形態)

1960年代、ロラン・バルトの薫陶を受け、ポストモダニズムの金字塔の書物を世に問い、忽然と行方をくらました謎の思想家アンリ・マンソンジュ。

ポンピドゥーセンター
Peggy_Marco / Pixabay
https://pixabay.com/photo-1930712

不在の哲学者を求める探求の物語。
実は全部デタラメのフィクションなのだけれどもw
面白い小説だった。
興味深い箇所があった。

ポストモダニズムについて僕はよく知らないのだが、ディコンストラクションがキーワードとの事。
ロラン・バルトの「作者の死」が有名だ。
本は作者なぞによって書かれたものではまったくないという。
僕も考えてみた。
山の生というものだ。
山というものは国土によって作られたものである。
イザナギとイザナミが産み出したのだ。
ところが、山は登山者、登山出版社、山小屋の主人、遭難救助者によって語られるものになっている。
山は登られるもので、主体は消滅している。
既にディコンストラクションされていると思う。
山は非常にポストモダニズム的な産物なのだと思う。
どうだろうか。

文化行為としてのフオルニカシオンも関心を引く。
性のみがわれわれの存在の聖なる中心として依然保持されているという。
そんな気がする。
マンソンジュ氏は流石だ。
マンソンジュは不在である事に気を配ったみたい。
不在というのもディコンストラクションの要点なのかもしれない。
非-、反-という箇所もありそうだ。
僕は滝三刈氏を創作してみた。
滝三刈氏は2020年代、コロナのメッカ、東京に登場した謎の思想家である。
出身は東北地方のようで東北大学を卒業したらしい。
反新歴史主義を標榜する。
アンジャッシュの児嶋一哉と議論し理論を深めたそうだ。
「ジャポニズムの尖端」という名著を発行し、世の中から消えた。
まぁ、全て虚構なんですけどねw

小生が覚えている最後のマンソンジュの姿はーーそれが本当に彼だったとしての話だ、それとて君の文章を読んで自信がもてなくなってきたんだがーー
(p.180)

僕はいつものように読書をしていた。
そしてどこか面白い部分があって笑っていた。
ところが、後からその箇所を探したのだけれども、分からなくなった。
本作に書かれていたのは間違いない。
どこへいってしまったのだろう。
これがマンソンジュの不在という事なのだろうか。
不思議な体験をした。
これは実話だ。
(笑)の笑うが取れて()になってしまったのだ
笑失しょうしつとなったのだろうか。
笑い男、Stand Alone Complex。
奇書、超哲学者マンソンジュ氏である。

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