庄司 薫 (Rédigé par)
Chūō Kōron Shinsha (Maison d’édition) / Chūkō Bunko
1995年11月18日 (Date de sortie)
Kindle Edition (Format)
青春文学だという。
僕はこの小説を寡聞にして知らなかったのだが、どことなくJ.D.サリンジャーの「ライ麦畑でつかまえて」を彷彿とさせるなぁと思った。
主人公の語り口調がなんかホールデンっぽかった。
ストーリーは都立日比谷高校に通う高校3年生の主人公の1日を描いているのかな。
主人公はいろいろと思い悩むが、最後に自分のなりたい理想像を見つける。
あとがきによると、日比谷高校は毎年200名近い東大入学者を出していたかなりすごい高校だったみたい。
エリート校の、受験競争になんて興味ありませんというキザなインチキ芝居についての描写はおもしろかった。
そこには美学が感じられる。
伝統校はこういうところがあったりするのかもしれない。
受験と関係ない遊びとか部活とか文化祭とかの行事にものすごく力を入れたりするもんな。
Toutefois,、学生運動の影響でその年の東大入試が中止になり、主人公は大学受験をやめ、来年また東大を受けようと決める。
大変な時代だったんだなぁ。
当時の時代を鮮やかに表した小説なのだろうか。
Aussi、この小説は1作目で続きがあって「薫くん四部作」というものがあるらしい。
まだまだ僕の知らない小説は多い…
Articles connexes
- À la frontière Kobo Abe (Rédigé par) Chūō Kōron Shinsha (Maison d’édition) / 中公文庫 1975年7月10日 (Date de sortie) Édition de poche (Format) 3編の連作エッセイ。 巻末の解説によるとエッセイというより論文? 本書のテーマは国家と現代の平和、正統と異端についてから始まる。 et、定まった土地で農耕をする定着民と定着を拒んだ遊牧民に関して、人間の歴史が語られる。 最後の表題作は都市的な性格を持つというある人種と農民的な姿をとって現れる国家、両者の葛藤についてかな。 分かったような分からないような。 Selon le commentaire、3つの論文を統一するテーマは正統と異端の対立とのこと。 農耕民族的特徴をもつ国家(正統派)と、内なる辺境である移動社会または都市(異端派)。 著者はあくまで辺境側、異端的な立場みたいだ。 安部さんはこのような視点を持っていたのか。 また新たな観点から著者の作品を鑑賞することができそうな気がした。
- (>_ Wikipedia (L’encyclopédie libre)昭和初期 (Date) うわごとのとなり赤マントは復活するか 現代の怪談ばなし - 民話の部屋 - とんと昔あったとさ | フジパンシステム創成学科とは | 東京大学工学部システム創成学科 魔都東京。Monstre de cas non résolu est à venir。
- クロイツェル・ソナタ / 悪魔 Tolstoï (Rédigé par) / 原 卓也 (Translation) Shinchosha (Maison d’édition) / 新潮文庫 1952年6月16日 (Date de sortie) Kindle Edition (Format) ロシアの作家の作品。 中編2作が収録されている。 「クロイツェル・ソナタ」は電車で乗り合わせた男が自分の過去を主人公に語り出すというもの。 その男は妻との結婚生活がうまくいかず、そのうち妻が浮気をしているのではないかと嫉妬にかられ、妻を自らの手にかけてしまった。 妻と浮気相手の男が一緒に演奏した曲がクロイツェル・ソナタである。 一人の相手に対してずっと続く愛情なんてものは存在しない、結婚は欺瞞、または強制だと罪をおかした男は語る。 Aussi、自分は放蕩して道楽者へと堕落してしまい、破滅へ進んだと言う。 性欲は様々な欲望の中でいちばん強いもので、男が必要とするのは女性の肉体だけ(体目当て)だとも書かれていた。 けっこう過激なことが書かれていたが、そういう考えも理解できるなと僕は思った。 結婚したら性欲が満たされて、恋心は薄れていくらしい。 子供ができたら子育てもしないといけないし、恋だとか言っている余裕もなくなるのかもしれない。 それでも一緒にいたいと思う人を結婚相手にしないといけないんだろうな。 Toutefois,、主人公は妻との結婚生活が喧嘩ばかりだったのに、それでも妻の浮気には嫉妬するものなんだなと感じた。 「悪魔」は妻を愛する主人公が、過去に関係のあった女性への情欲をかきたてられ、自己嫌悪のあまり絶望して自らをあやめてしまうという話だ。 性欲に負けて、自分を愛してくれる妻への裏切り行為をしようとしている自分に思い悩み、破滅へと向かってしまった。 主人公を捉えて離さないその過去の遊び相手の女性を悪魔と表している。 妻に正直に全てを打ち明けたほうがよかったんじゃないかと僕は思ったが、難しいところだな。 一時の欲望に負けて将来後悔することのないようにしないといけないと思った。 あとがきによると、「悪魔」はトルストイの私小説的色彩が濃いという。 そのため妻へ配慮し、トルストイの存命中は発行しなかったらしい。 トルストイは、性的欲望が人間生活のさまざまな不幸、悲劇の源だと考えていたみたい。 これを警句として僕も気をつけよう。